昭和四十五年十二月十一日  朝の御理解


X第十八節  「此方の事を神神と言ふが、此方ばかりではない。此所に参って居る人々が皆、神の氏子ぢゃ。生神とは、ここに神が生まれると言う事で、此方がおかげの受け初めである。皆もその通りにおかげが受けられるぞ。」


  此方というのは、もちろん教祖さまの事……。小倉の初代、桂松平先生が九州に布教に出られます時に、二代金光さま、四神さまが、桂先生に対する<★>の言葉としておっしゃっておられる事が、桂、九州には土になりに行くのぞと。小倉の土になれと、おっしゃっておられます。いわゆる命をかけて行けよと、こうおっしゃっておられます。
 そして九州の小倉には、生神さまができなさったというような、おかげを受けねばならんという意味の事を言うとります。小倉には生神さまがござるというお徳を受けよ、おかげを受けよと。
 それには、九州の小倉には土になりに行くのぞと。言うならば、死を覚悟して行けよと。一生がかりだぞという内容があると、私は思う。
 なるほど、桂先生の小倉布教というものは、なみたいていの事ではなかった。途中で、あまり道が開けないから、引揚げなさるといったような事もあった。もうこれは、道は、九州には開けんのだといったような時もあった。
 けれどもやはり命をかけてと言うか、命がけの御布教。それが九州に、あのような<★>が輝いて、九州中に……。私共もその余徳のおかげで、こうして今日、人が助かるようなおかげになってきた。
 もともとは小倉の桂先生が、それこそ小倉の土になりに行けと、四神さまからお<★>の言葉を頂かれて、それをひた受けに受けられての御信心、御布教であったという事。
 ここで此方の事を、神神と言うがとおっしゃる。もちろんこれは、教祖、金光大神さまであります。その教祖、生神、金光大神さまが、神さまからも氏子からも、両方からの恩人とも言われなさり、または氏子からは、いわゆる<大谷>の生神さまとして<仰がれ>なさる程しの御神徳をお受けになられた。言うなら教祖御自身がそういう体験をなさって、これを私共に教えておられるわけです。
 此所に参っておる人々が、皆、神の氏子じゃと。だからみんな、神の氏子だからと言うて、言うなら生神さまと人が言うかと言うと、言やしませんですねえ。
 昨夜の<お月次祭>にも申しました。そこからの信心という事を申しましたですねえ、そこから……。
 例えばおかげを頂きまして、今日、幹三郎が退院のおかげになる。何と言うても、めでたい事だと思います。それはどういう事かと言うと、全快して、病気がなおって帰って来た事は、めでたい事じゃないです。大した事じゃない。ただ、おかげを受けたというだけの事。
 けれども例えば幹三郎がです、そこからの信心。奇蹟という言葉は、言うなら幹三郎のためにあったようなものだと思われるような、奇蹟的なおかげを頂いた。
 今まではなるほど神の氏子ではあったけれども、神の氏子としての自覚がなかった。これからは例えば、そんなら十七歳まではです、神の氏子ではあるけれども、神の氏子の自覚がなかった。神としての自覚がなかった。
 けれどもこれから新たな命を頂いたのであるからと本人が自覚し、その命がです、いわゆるどこを目指すかと。いわゆる神を目指す。取次者を目指す。世の難儀な氏子の取次ぎ助けられる事のために、これからの生涯というものは、そこにかけられるというような自覚が出来たら、いわゆるそこからの信心というのが、ただ奇蹟的なおかげを頂いて退院してきたという事がめでたいのではなくて、そこから新しい命が誕生して、本当に生神としての自覚をもった誕生。
 此所に参って居る人々が、皆、神の氏子じゃ。生神とは、ここに神が生まれるという事であってと。ですからみんな神の氏子ではあるけれども、生神とはここに神が生まれる、誕生しなければ駄目なんです。
 生神としてのおかげの頂けれるものを、お互いが備えもっておるという事を、自覚するという事から、生神が誕生する。

                   ※

 本部に行っとります愛子が、幹三郎に『金光大神』を一冊送りたいというので、金光さまに、これを幹三郎に送りますからと言うて、お届けをさせて頂いたら、<★>の所に「神に向う心」とお書き下げ頂いた。
 昨日、私はそれを見せて頂きましてから、本当に感激致しました。例えば幹三郎がですね、なるほど信心をしておらんわけではありませんでした。だから皆さんだって信心をしておられるから、生神に向っておられるという事なのですけれども、本当の事を言うたなら、信心とは、我が心が神に向うのを信心というのじゃという事はね、<お道>の信心ではたいへんな意義を持った事だと思います。私は今日、改めてそれを感じました。
 我が心が神に向う。どうぞ神さま助けて下さいと、手を合わせて神さまに向うたら、いわゆるもう神に向うておるのかと言うと、そういう意味ではないようですねえ。神に向う心というのは、そうではない。
 神に向う心というのは、いわゆるそこからの信心ですねえ。無い命を新たに頂いた。その誕生した命がです、これからは生神、金光大神の<お弟子>にならせて頂くといったようなものなんです。
 今まではただ神さまを拝んでおったというだけの事。だからいよいよ金光大神のいわゆる生きられ方というものを身につけてゆく。そして自分がこれから助かるだけではない、自分の残された生涯というものをです、人の助けられてゆく事のために勉強させてもらおう、精進させてもらおう、そのための修行ならいとわないというような事にです、もし幹三郎がそういう自覚に立たして頂いたら、それが本当の生神の自覚、いわゆる生神の誕生という事なのである。
 退院をして帰って来るから、めでたいというのではなくてです。私はここに生神の誕生をみるという事が、私はもう何と言うても、この上もないめでたい事だと思わせて頂きます。
 此方がおかげの受け初め、皆もその通りにおかげが受けられると、もういと簡単にここをこういうふうに、おっしゃっておられますけれども、これはだから容易な事ではないという事。
 信心とは、我が心が神に向うというのは、神の氏子としての自覚が出来て、その自覚の上に立ってです、例えば四神さまが桂先生に、九州には土になり<げ>に行くのぞとおっしゃったという、いわゆるそこに命をかけるという事だと思う。
 もう一生、ずーっと、金光さまの信心で通したという意味じゃないんですよ。生神になる事のために命をかけると、ためには、そこからの信心。
 例えば幹三郎の事を例にもってすると、無い命を頂いたという感激が、感動がです、今までお道の教師なんかは、僕はならんと言うておったのがです、お道の教師にでも、もし命が頂けたら、お道の教師としてのおかげを頂かせてもらうと。そこから、そこに初めて神が生まれる。
 その生神が生まれたという事がね、今日はめでたいのだと。皆さん、そこんところを、ひとつようく分って頂かにゃいけん。
 今までは、信心とは我が心が神に向うのを信心と言うのじゃとおっしゃる。だから普通一般に言うとです、仏さまを拝む、神さまを拝むという事は、我が心が神に向うたのである。だからそれを信心だと、一般では言うておる。
 お道の信心でも、それでもいいかもしれんけれども、それをもっと本当の意味においての、信心は神に向うというのは生神に向って向う、お互いが生神さまとしての、言うならおかげの頂けれる値打ちのものを頂いておる。参って来るみんなが神の氏子じゃと、ここにおっしゃっておられる。
 だからお互いが神の氏子でありますから、その氏子としての自覚が出来なければならん。そしてどういう事になるかと言うと、その氏子が、いわゆるその心が、その命が、いよいよ神に向う、いわゆる生神に向う。
 九州の小倉には生神さまが出来なさったと言われる程しの事になれよという、四神さまの<★>の言葉を、そのままひた受けに受けられて、本当に九州の小倉には生神さまがござるげなというような、高徳な先生が誕生された。そして、あのような御<★>が輝いた。九州中に不滅の御信心というものが打ち立てられた。その流れをくませて頂いて、私共、このようにおかげを受けておるという事になります。
 それは、もともとどこからかと言うと、桂先生が九州の土になるという自覚から生まれたんだと。そこに命がけで、生神さまへの精進がなされたわけなんです。
 だから、我が心が神に向うというのはです、ただ信心しておるというのではなくて、そこに命をかけるという事なんだ。それには、私は、幹三郎なんか、たいへん広大なチャンスに恵まれたと思います。
手術が終わりまして、一番初めに言うております事は、「頑張ります、親先生」。次には、もう、「死のうごたった」と<書>いております。
 死のうごたったという程しの大修行をのり越えさせて頂いた。それから先は覚えとらんと。あごにメスを当てられた時には、ようと自分で覚えとったと。それは死のうごたったろうと思います。
 そういうたいへんなところを通らせて頂いて助けられた。そういうところを通ったおかげで、いわゆる金光さまの先生にでもならせて頂こう、これからの余生は。これからの生涯をです、生神さまにならして頂く稽古を本気でさせて頂こうという自覚が、本人に出来るという事が、今日はめでたいのだと思います。
 人間というものはね、やはり、そこからという程しの何かね、そこにひとつの機会、チャンスが与えられませんと、なかなかですね……。
 ただおかげを受けるという事だけに血道をあげるのではなくて、金光さまの御信心はどこまでも、我が心が神に向うという事が信心なのです。
 信心とは我が心が神に向かのを信心と言うのじゃと、だから毎日こうして神さまに向いよりますから、拝みよりますから信心かと言うと、お道で言う信心はだからそうじゃあない。
 だから拝む事が、神に向う事が信心なら、これはもう何様でも同じ事が言える。だからそれも信心と言えない事はないでしょう。
 けれども教祖、金光大神がおっしゃっておられる、また、四神さまのお言葉を今日は引用致しましたが、「桂、小倉には<死にげに>行くのぞ」と、小倉の土になれとおっしゃった程しのものがです、そこには必要であるという事が分ります。
 小倉の地に生神が誕生したと言われるようになれと、おっしゃった。そこには桂先生の神の氏子としての自覚と同時に、いよいよ生神に向われるところの修行がなされたという事。
 しかも前には進んでも後ろには退かんという精神。いわゆる神さまに向いだしたら、もう後には一歩でもさがらんぞという不退転の信心と申しますか、そういう信心がなされてゆく、それが神になるのであります。
 金光さまは有難い事をお書き下げ下さったものだと、『金光大神』に。もう一生涯の幹三郎の宝になる事でしょう。
 姉からおくられたこの『金光大神』が、金光大神というのは教祖、金光大神ですけれども、今の金光さまが幹三郎に対するところの願いである。
 金光さまが幹三郎に対するところの期待である。その金光さまの直接のお弟子になろうというのですから。
 そんなら金光さまが、そういう事を御承知のはずはない。これが、自分の弟子になるといった事をお考えになって、書かれたのではない。
 けれども神に向う心と。それはどういう事かと言うと、生神を目指しての信心という事になる。
 例えばお道の教師という事はどういう事かと言うと、命をかけるという事ですからねえ、本当の事を言うたら。と言うたら、自分の一生をもう神さまにお供えするという事ですからねえ。ですから、並大抵の事じゃないです。
 ですから、そのお師匠さまであるところの金光さまが、「神に向う心」、昭和何年何月何日と、こうお書き下げ下さった。それを幹三郎が受けて、その自覚が幹三郎に出来て、その自覚というものはだんだん、おそらく強くなってゆくものだと思います。
 まあだ十幾つの子供にそういう難しい事が分るはずがないですけれども、たいへんな事だったなあ、僕があの時の病気というのは、手術という事は、あれを境にこのようになってきたが、たいへんなことであったなあ。その時頂いた御教がこの事であったが、この事がたいへんな事であったなあ。一生涯、ここのところに焦点を置いて、進んでゆく事であろうという、たいへんな意義を持ってくるものだと思います。
 神に向う心。そこで、そんならば、そういうお道の教師でなからなければ生神に向われないかというのではなくて、私共はね、信心とはもう、やっぱり本当の玉を研くものだと、信心とは日々の改まりが第一だと、もうここに自覚する事以外にないです。それが神に向う。
 信心とはおかげを頂くという事でなく、病気なおしやら災難よけの神さまじゃなくて、それは枝の葉の事であって、本来は本心の玉を研くのだという事はです、いよいよ私共がそこに生神さまを目指すという事。我が心に生神の誕生を願うという事。
 ここに神が生まれるということであってと、素晴らしい言葉ですよねえ、生神とはここに神が生まれるという事であってと。だからその自覚が出来た時に、もう神が誕生しておる、ここに宿ったわけです。
 だから今日、ただ今から、その自覚が出来たら、もう生神が宿ったわけですから、それを十月十日という、いわゆる日にちを経たら、生神が誕生する。
 それを大事に有難く育ててゆくというのがです、お道の信心なのである。
 お取次を頂いて、お願いをして、おかげを頂いた。お取次を頂いて、お願いをして、改まさせて頂いた、研かせて頂いたと。だから例えばすべての事が、例えば難儀に直面した場合、これが生神になるためのひとつの手段である。言うなら手がかりであり、足がかりなのだ。それがどういう難儀な問題であろうが。
 だからそこにです、その難儀な問題が非常に意義を持ってくる。生神になるための手がかりなのだ、足がかりなのだ。
 そこで私どん、生神さまにならんでんというような考え方では、だからここのところは分らんわけですねえ。
 もうここさえ助けてもらや、ここさえおかげ頂きゃよか、そげん生神さまにならんでんと。だから金光さまの信心頂く者すべからく、そこんところを、生神とはここに神が生まれるという、それを金光大神がおかげの受け初めであると、こう仰せられる。ですからみんなも、このようなおかげが受けられると仰せられるから、みんなも、そのようなおかげが次々と誕生してこなければ、生神が。でなければ、金光大神の<★>という事になってこない。ただ信者がたくさん増えたというだけでは、駄目。そういう生神がたくさん誕生しなければならん。
 皆もその通りにおかげを受ける事が出来るという実証を、私共はしてゆかなければならない。

                   ※

 四、五日前、私と高橋さんと若先生と、夕食を共にさせて頂いた時、若先生が高橋さんにこんな質問をしよる。「高橋さん、あなたはどういう事を願うておられますか」。
 皆さんは、どうですか。信心させて頂いて、どういう事を目指しておられますか。何になろうと思いよんなさいますか。理想はどういうことですか、と。
 それは今の例えば三福というお店を、<このごろから>御自身が体験発表しておられたように、今、久留米のダイエーにお店を出しておられます。ですからダイエーが日本でも有名なお店ですから、全国にずっと出来てゆくわけですよ。出来ていったら、そのダイエーの店にずーっとついてまわったら、たくさんの寿司屋の支店が出来る。そうするとこれは日本一の寿司屋も、これは夢ではないなと、このごろ言うておられます。
 例えば大きな立派な店というのは、たくさん有るかもしれんけれども、言うなら売上という点でなら、三福が日本一になれるなといった事が、もう夢ではない。それがおかげ頂けれるだろうといった意味の事を、このごろ発表しておられたでしょうが。
 だからそんなら高橋さんの夢というのは、何になろうと思うておられますかと。
 私は私なりに思うた。若先生が私に聞いたら、どげん言おうかと。
 私の心の中にあるものは、もう本当に合楽の生神さまであります。私が目指すところは、合楽にはとても生神さまがござるげなというようなね、私になる事なんです。
 ただし私の生神さまは、ちょこっとばっかり違う。いわゆる人間臭がぷんぷんしとる生神さまである。「神さま、都々逸を歌わせ給う」といったような意味合いの神さまなんですと言うて、お話をした事でした。
 私はもうどこまでも、やはり、目指すところは生神さま。けれどもそれは、その生神と言や、雲か霞を食べておられるばいというものではなくて、人間と同じ生活をさせて頂いておるという事。都々逸も歌われる生神さまなのだという事。
 そういう、私共は、ひとつの理想というものを持っておる。だから我が心が、もう完全に、我が心が神に向っておるという事になりましょう。
 だから、皆さんとても同じ事。そげん生神さまにならんでんといったような事ではなくて、そこに生神のやはり我が心に神が生まれるという事であるとおっしゃるのですから、我が心の中に本当に信心を頂いて、信心の味わいというものが、信心ちゃ有難いもんだなあという、その有難いという心をです、いよいよ育ててゆくという事。おかげを育ててゆくという事でなくて。
 だから例えばそんなら高橋さんのおっしゃるごと、これはいよいよ日本一の寿司屋になれるぞという、その根本になるものはです、そういう本当の裏付けのあるおかげを頂く事のためにはです、やはり高橋さんの心の中に、生神を目指される程しの信心というものが生まれ、やはり徳が受けられてこそ、日本一の寿司屋さんという事になるのじゃないでしょうか。
 金光さまの御信心は生神を目指す事だと言うと、現代の人達の感覚から言うと、たいへんな事でございましょうけれども、結局はやはり生神を目指す事であると、いよいよ有難うならして頂く稽古という事。
 それには、金光さまの御信心はどこまでも、何と言うても、どういうところからでも、生神への手がかり、足がかりというものを、いわば見い出してゆくという事。
 いや、そこに直面した問題、そのひとつひとつが生神への手がかり、足がかりであるという事。
 同時に、信心とは日々の改まりが第一である。どういうところからでも改まってゆこう。どういうところからでも、その事を通して研いてゆこう。
 神の誕生。それがめでたいのである。それが祝福される値打ちがあると、こう思う。
 今日の幹三郎の、その後で、ちょっとした祝賀会のようなのが催されるようですけれども、その事がどういう事かと言うと、病気が治って帰って来たのが祝賀の値打ちがあるのでなく、そこに、幹三郎の心の中にです、生神が誕生する、我が心が神に向う事のいわばきっかけというものが、今度の病気によって出来たという事。その事が祝賀の内容のすべてであり、内容でなからねばならんと思うのですよね。どうぞ。